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川内簡易裁判所 昭和34年(る)28号 判決 1960年3月07日

被告人 坂本利光

決  定

(請求人、請求代理人氏名略)

の者に対する正式裁判請求権回復請求事件につき審理を遂げ左の通り決定する。

主文

本件正式裁判請求権回復の請求を許可する。

理由

本件請求の要旨は

被告人は同人に対する当裁判所昭和三四年(い)第六八一号公職選挙法違反被告事件の略式命令謄本を同年一一月二〇日送達を受けたところ、之に対し不服であつたので、同年同月二五日弁護士松村鉄男を弁護人に選任し正式裁判手続及び同裁判の弁護方を依頼した。被告人は之により同弁護士が期間内に正式裁判請求の手続を済ませてくれたものと安心していたところ、同年一二月七日川内区検察庁から右略式命令に基く罰金納付命令を受け大いに驚き早速調査したところ、次のような事実が判明した。

即ち、同弁護士は同年同月二六日被告人の正式裁判請求書及び同弁護士を弁護人とする弁護人選任届を被告人の知人であり同人から同弁護士との連絡方を依頼されていた橋口政治に手交し、速やかに之を当裁判所に郵送するよう依頼したところ、右橋口は同日午後一時頃右二通の書面を封筒に入れ、差出人同弁護士名にて当庁宛普通速達郵便物として鹿児島東郵便局に付託した。ついで右橋口は該郵便物が正式裁判請求の期限である同年一二月四日迄に当然当庁に到達したものと信じ、同年一二月四日同弁護士より「本件被告事件を本件と関連ある鹿児島地方裁判所係属中の事件と公判審理の併合あらんこと」の申出書の発送方を依頼され、之を同日右郵便局より当庁宛普通書留郵便で郵送した。以上の次第で本件正式裁判申立書は当然正式裁判請求の期限内に当庁に到達していなければならないのに、右期限内は勿論その後も当庁に到達していないのは右郵便物送達途上の不達事故によるものとみるの外なく、右は被告人自身又はその代人の責に帰することのできない事由により惹起されたものであるから正式裁判請求権回復の申立に及んだと述べ、立証として疎第一号乃至第六号、同第七号の一乃至二二を提出し、証人橋口政治及び被告人の尋問を求めた。

当裁判所は職権をもつて鹿児島東郵便局長(一回)及び熊本郵政監察局長(二回)に対し郵便物受領或は事故等について調査嘱託をなし、証人城光寺利雄、竹井忠治、新田美博、熊迫文雄、上村巌、橋口政治を尋問した。按ずるに取寄にかかる当裁判所昭和三四年(い)第六八一号被告人に対する略式命令請求事件(候補者日本中小企業政治連盟推薦川上為治)記録と証人橋口政治の証言(第一回)及び被告人の供述とを綜合すれば被告人は同人に対する公職選挙法違反事件につき昭和三四年一一月五日当裁判所において略式命令により罰金弐万円に処せられ、該略式命令謄本は同年同月二〇日被告人に送達されたのであるが、被告人は右裁判に対し不服であつたので、同年同月二五日鹿児島市の中政連鹿児島支部に出向いてその善後策を相談した末、同支部の世話で同市在住の弁護士松村鉄男に正式裁判請求手続及び同事件の弁護方を依頼することに決め、同日鹿児島弁護士会で同弁護士に面談して、正式裁判請求書及び弁護人選任届作成のために必要な被告人の印鑑を同弁護人に預けてその作成及び裁判所への提出方を委任し、同弁護士は之を引受けて被告人の面前で予て川上候補選挙運動者の選挙違反事件につき、同弁護士のため正式裁判請求書及び弁護士選任届を各関係裁判所に発送等の事務を引受けていた橋口政治(中政連鹿児島支部組織委員)に右二通の書類の作成及び当裁判所への提出方を命じたことが肯認される。而して右正式裁判申立書及び弁護届が正式裁判申立期限である昭和三四年一二月四日迄は勿論のこと、今日に至るも当裁判所に到達しないことは当裁判所に顕著な事実である。そこで請求代理人の申立によれば、右橋口政治は同年一二月二六日右二通の書類を一通の封筒に入れ、同日午後一時頃当庁に宛てて普通速達郵便物として鹿児島東郵便局に付託したと主張するので精査してみると、(一)疎第一号(発来翰簿)によれば一一月二六日午後一時速達郵便にて発信人松村鉄男、受信人川内簡易裁判所にて、正式裁判申立書と弁護人選任届が発送された旨の記載があり、又疎第五号によれば鹿児島東郵便局において昭和三四年一一月二六日速達郵便切手(三五円)二枚が売捌かれ、内一枚は川内なる旨の記載がある。然しながら右疎第一号と同第五号、第七号の一乃至二二とを比較し、之に証人新田義博、熊迫文雄、上村巌の証言とを綜合すれば、右疎第一号(発来翰簿)中一一月一七日加治木簡易裁判所宛郵便は書留郵便物であるのに書留速達と誤記があり、又右同日伊集院簡易裁判所宛郵便は書留郵便物であるのに速達と誤記がある等、必ずしも同号の記載は正確とは認め難いが、さりとて本申立を疎明するため後日作成されたものと疑うに足る思料は他になく、反て証人橋口政治の証言によれば、鹿児島県内において川上為治参議候補の選挙運動者の選挙違反事件が約五〇件もあり、之を中政連鹿児島支部で取り纒めて松村弁護士に委任することとなつたため同事件に関する発信並びに受信が多く発信漏れ等の間違いをおこす惧れがあつたので之を防ぐため、同弁護士の命により昭和三四年一一月初旬頃橋口政治が之を作成し、発信受信の都度当日又は翌日之を記入したものであることが認められる。従つて右発来翰簿に「一一月二六日一時当裁判所宛松村弁護士から速達郵便物を発信した」旨の記載は一応真正な記載と認めるべきである。(二)疎第五号、第七号の四、八、一〇、一一、一七、一八、二〇、二一、二二の成立については、証人新田義博の証言によれば右疎明書類中鹿児島東局の領収印並びに切手の種類枚数金額及び年月日の部分は真正に成立したものであるが、その余の記載即ち発送先等の記載は、後日郵便局員以外の者が勝手に記入したものであることが推認される。従つて疎第五号中その作成年月日は一応真正なものと認めうるが「川内」の記載は橋口政治において後日記入したものであることの疑いがあり、之に反する橋口証人の証言は信用できない。(三)次に熊本郵政監察局長の当裁判所宛昭和三五年二月一八日の調査嘱託回答書と証人竹井忠治の証言によれば、速達郵便物の不達事故は稀有のものでなく昭和三四年度内における鹿児島県内の速達郵便物の不達事故件数は二八〇件に上り、又同年度内における鹿児島東局の速達郵便物の不達事故は九件に上つていることが認められる。(四)又疎第三号と証人橋口政治の証言(第一、二回)並びに被告人の供述とによれば被告人と橋口政治とは中政連の川内支部長と鹿児島支部の組織委員との間柄であり、又橋口政治が中政連関係の選挙違反事件につき松村弁護士の補助者として違反者を同弁護士に紹介し、或は正式裁判申立書及び弁護人届の作成並びにその裁判所への提出等の事務を引請けて之に専心していたこと、被告人は同派の違反者の中でも罰金が重かつたので、橋口政治としては一日も早く正式裁判の手続をとりたいと考えていたこと、被告人の正式裁判申立書が当裁判所に受理されおるものと考えて昭和三四年一二月四日付被告人及び松村弁護人連署の「公判審理の併合あらんことの申立」が橋口政治から当裁判所にその頃発送されていること、被告人は同年一二月七日川内区検察庁から罰金納付命令の告知を受けて事の以外に驚き、直ちに橋口政治に事実の真否を確めたことが認められる。以上(一)乃至(四)の認定事実に証人橋口政治の証言を綜合すれば証人橋口政治は前認定の通り昭和三四年一一月二五日松村弁護士から被告人の正式裁判申立書及び弁護人選任書の作成並びにその川内裁判所への提出を命ぜられたので、その頃之を作成して翌二六日午後一時頃一通の封書に入れて発信人を松村弁護士名義とし当庁宛普通速達郵便扱いで鹿児島東郵便局の窓口係に付託して発送したものであるが、該郵便物が郵便局側取扱中の何等かの事故により所在不明となり当裁判所に到達しなかつたものであることが認められる。而して被告人の有罪並びに公民権停止確定というような重大な結果を生ずる惧れのある重要な書類(正式裁判申立書)封入の郵便物は本件のような不測の事故が起らないよう書留郵便によつて送付するのが相当であるのに、橋口政治が普通速達郵便により之を発送したことはいささか軽卒のそしりを免れないが、一般人には速達郵便物の不達事故は稀有のことと考えており(当裁判所も郵政監察局長の回答を得て普通速達郵便物の不達事故の多いのに意外の感を抱いた次第である)又かかる被告人の代人のやや軽卒な取扱いによつて生じた不測の事故のために、被告人に前科並びに公民権停止の責を決定的に負わしめることは、略式命令に対し正式裁判申立のできる刑事訴訟手続制度の趣旨にもそぐわないものがあるやに思料される。

然らば本件正式裁判申立書の不達事故は被告人自身は勿論その代人の責に帰することのできない事由によつて惹起されたものと認めるのが相当であるから、本件申立は理由あるものと認め、刑事訴訟法第四六七条により主文のとおり決定する。

(裁判官 大迫藤造)

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